梨農園の常識を変えたい
梨の樹は今年76歳になりました!
絹が廃れ紡績工場が諏訪湖畔から消え、お蚕様が必要なくなった70年前。亡き父と祖父たちは、村中の桑の木を掘り起こし、未来を賭けて梨の木を植えました🌳🌳
春には梨の白い花が故郷を埋め尽くし、袋掛けは家族総出、隣り近所で助け合ってみんなで働きました。梨の村は活気づき秋には大型トラックいっぱいに積まれた梨が選果場を往復しました。🚛
そして今また梨は次々に切り倒され、かつての梨の村の面影はありません。梨は林檎より手が掛かるのに儲からない。無農薬で果実を育てられるわけがない。農業じゃ食べていけない。後継者がいない。この常識を変えることが梨こ農園の夢です💖💖
梨と共に生きる
元気な梨の樹を平気で切り倒せる農民がいるわけはなかったのです。この故郷には、梨の成長を喜び仲間と笑いながら働き続けた魂が今もあります💚
樹齢76歳にして500個もの甘く大きな実を育て上げる梨の樹の生命力。その枝は龍🐉のごとくどっしりと黒い。この梨に魅せられ、梨と共に生きようと思いました。
子どもの頃から両親と働きました。母がよく言っていた言葉を思い出します👵「畑が一番いい。嫌なこと、全部忘れる。」母と歌を歌い冗談を言い笑いながら働きました。梨畑にいると人は子どもに戻るのです。なぜでしょう?それは梨の木が土が草が空が風が、ありのままの自分でいいことを教えてくれます。要らないものをそぎ落とし、たった一つの命である自分が愛おしくなるのです。
決して枯れない梨
しかし毎年、自然の厳しさも味わいます☺️霜が降りて梨の花を凍らせ何も実がつかない年もありました。病気が蔓延しやむなく小さな実をもいで土に埋めたり、台風が収穫直前の実を振るい落としたり、、、。心を痛めながらも、また立ち上がることを教えてくれる梨。梨は枯れないのです。すべてを受け入れ、今日を生きています。
何があっても心の底から笑って生きていくことを梨は教えてくれています😊今を笑いながら生きていくことを、、。
無農薬までの道
①土壌づくり ②若返り剪定 ③100%自家受粉
完全無農薬をめざしていて7年目。やっと「無農薬栽培」が実現しました。7回5回3回と農薬を減らし、昨年は5月22日に南水の幼い実を大量の毛虫が食べてしまったので、やむなく殺虫剤ダイアジノン希釈1,000倍を酵素ミネラル水50倍に混ぜて噴霧しました。今年は春先から様々な酢(木酢液、キトサン酢、高濃度醸造酢)に酵素、重曹など昔から良いと言われてきたものを調合して予防をしてきました。それに加えて、大豆と水のみでつくったナノソイとソマチッドパウダーの噴霧しました。
アブラムシやカイガラムシ等は手作業での除去なので、梨畑に行かない日はありません。毎日梨の枝や葉の様子を見て回り必要な手当てをするのです。それはとても大変でしたが、農薬を掛けるよりは幸せな仕事でした。
冬場は畑全面に130個の穴を掘り、竹炭や枝や枯れ葉、藁を埋め込み、健康で水はけのよい土壌づくりをしてきました。化学肥料は一切使っておりません。
また昨年から梨の木そのものの樹勢を取り戻すために長果枝剪定への切り替えを行いました。剪定は1月~3月、冬の仕事です。雪の上に落ちた枝が無数の幾何学模様を描きます。
4月洋梨ヤーリーの花が真っ先に咲きます。その花を全て摘み取り、授粉用の花粉を作ります。梨こ農園の梨はすべてこの自家製花粉で受粉します。近年は中国から輸入した花粉を購入する農家さんが多くなったようですが、梨こ農園の母なる木ヤーリーのお陰で毎年自家受粉ができることは、手間が掛かりますがとてもありがたいことです。父の代からの自家受粉を今後もずっと続けていきます。
是非💕梨を頬張ってみてください。一年という歳月を生き抜いて、皆さんのところに届く梨は、無数の梨の子どもたちの代表です。その百倍もの兄弟たちが土に還っていきました。あなたのもとに届くこと、これが奇跡💎です。